昼食の起源に続いて弁当の歴史を紹介しよう。江戸時代までは家を離れれば外食できるところはなかったから、農作業、旅行などに出かけるときは必ず昼食を携行しなければならなかった。古くは焼き米か乾飯、そして握り飯と漬物、みそなどを竹の皮、藁苞などに包んで持って出た。

 それを弁当と呼ぶようになったのは安土桃山時代からである。最初は椀や皿を便利にまとめた容器を弁当と言ったらしい。江戸時代、江戸城に詰める大名や宿直の侍は弁当を作って持参していた。明治大正の時代になると、勤め人や学童、生徒はみんな弁当を持って職場や学校に出かけた。おかずは塩鮭や海苔の佃煮などであり、学校の遠足の日には卵焼きが付いた。戦時中には弁当箱に詰めた飯の真ん中に梅干しを置いた日の丸弁当で過ごした。

 弁当は家で作るものであったから家庭食の延長であったが、その弁当が買うものに変わった初めは駅弁である。駅弁の第1号は明治18年、東北線の宇都宮駅で売り出された。梅干し入りの握り飯、2個にたくあんを添えて5銭であった。同じ年に売り出された信越線の横川駅の弁当が名物「峠の釜めし」に変わったのは昭和33年からである。折箱を仕切ってご飯と数種類のおかずを詰め合わせた駅弁の定番「幕の内弁当」は明治23年、関西鉄道の亀山駅で売られたのが最初である。

 今日、人気のある全国 駅弁大会は昭和33年、大阪の高島屋で開かれたのが最初である。毎年、新宿の京王百貨店で開かれる全国有名駅弁・うまいもの大会は今年で47回を迎え、駅弁の甲子園大会の異名を持つ名物行事になっている。おいしい駅弁を買って帰って家で食べるのである。

 江戸のお花見弁当から現代の趣向を凝らした駅弁や持ち帰り弁当まで多彩な弁当は日本独特の食文化である。昭和50年ごろからは、給食弁当、持ち帰りのホカホカ弁当、コンビニ弁当などが普及し始めて弁当はすっかり中食となった。このほか、学校給食、職場給食で昼食をとることも多い。かつては家庭の外に出ていても、弁当という形でつながっていた家族の絆は切れかかっている。

 

 日本人の誰もが昼食を摂るようになったのは江戸時代からであり、それまでは奈良時代からずっと朝食と夕食の2食で過ごしてきた。農民や職人が忙しい労働をする時には昼に間炊という間食をすることがあったが、貴族や僧侶は昼食を摂らなかった。

 古代エジプト、古代ギリシャ、古代中国では紀元前から1日に3食であったのに、中世になるとヨーロッパ諸国でも昼食と夕食の2回に変わっている。おそらく、人口が増え過ぎて食料が足りなかったので、空腹を我慢していたのではなかろうか。古代、中世は西洋も東洋も厳しい信仰の時代であり、、美食を慎み、空腹を我慢して断食するのが戒律になっていたのはそのためでもあろう。

 それが近代になり、商業経済が発展して人間らしい生活を自由に楽しむことができる市民社会が到来するとともに、1日3食が始まったと考えてよい。ところが、1日、2食から3食への変わり方は東西で異なる。日本では朝食と夕食の間に昼食が加わったのであるが、ヨーロッパでは夕食の後、次の日の昼食まで断食しているところへ朝食が加わったのである。パンとバター、コーヒだけの軽い朝食を英語でブレックファーストと呼ぶのは、断食を中断する間食という意味である。

 このような経緯があったので、日本では夕食に重きが置かれていて、昼食はいまだに、とりあえず空腹を満たせばよいと軽く扱われている。家庭にいる主婦は朝食の残り物かありあわせのもので済ませ、勤めに出る主人や学校に通う子供は給食か軽い外食、あるいはコンビニ弁当などで済ませている。家庭で作った弁当を持参することは少なくなった。

 昼食を外食、あるいは中食で済ます人は20歳代から40歳代の男性なら2人に1人以上、女性でも5人に2人弱がそうである。それどころか、20歳代から30歳代の男性サラリーマンでは1割近い人が忙しいと昼食を食べていない。また、朝は忙しいからといって朝食をとらない人が増えていて、国民全体では13%になっている。昔のように食べるものが十分にないから食べずに我慢しているのではない。昔は食物が乏しかったから1日に2食、今は食べるのが面倒だから再び2食になるのであろうか。

 

 

 この言葉はすっかり死語になった。しかし、食事作りをする男性はまだまだ少なく、女性も食事づくりを手抜きしているのが現実である。

 昭和30年代から40年代にかけての高度経済成長期には、仕事を求めて農村から都市へ多くの若者が移住してきた。そこで彼らが構えた家庭では妻は食事作りと育児に従事する専業主婦だった。娘は学業を終えると職業に就くが、結婚あるいは出産すると寿退職して専業主婦となり家事に専念するのが普通であった。

 ところが、昭和45年頃になると、、産業界は男性ばかりでなく女性も職業人として活用するようになった。若い女性はそれまでの腰掛け勤務をやめて、結婚後もフルタイムで職業を続けるようになった。子育てを終えた中年の主婦はそのころから成長してきた外食産業やスーパーマーケットなどの量販小売店でパート労働者として働くようになった。女性の被雇用率をみると20-24歳のOL世代では昭和50年に58%、平成15年に62%で大きな変化はないが、45-49歳の子育てを終えた主婦の年代では32%から61%へと倍増している。

 成人女性の6割が職業を持っているのだから家事のすべてを女性がすることは肉体的にも、時間的にもっ無理である。夫婦ともに職業を持つ共働きは珍しくなくなり、食事作りも育児も夫婦の共同作業になってきた。しかし、まだまだ、食事作りの90%は女性の分担になっているのが現実であるから、当然の成り行きとして食事作りにかける手間と時間をできるだけ節約しようとする。料理を作ることを面倒だと感じている女性は若中年層の半数にも及ぶ。

 全国5200万世帯のうち、単身世帯が1300万、共働き世帯が1000万あることを考えると、毎日、2回以上の食事作りをしている女性は20歳代なら2割で、30歳代から60歳代の主婦層でも6割強であっても不思議ではない。食費の42%が加工食品の購入、26%が中食や外食の利用にあてられていることも当然なのかもしれない。

 結果として、食事作りの実に7割がなにらかの形で外部業者に任せられているのであるが、このような国は珍しい。これでよいのだとするべきか、異常だとみるべきかは意見が分かれる。 読者はどちらですか

 中食という呼び名は最初は持ち帰りの弁当や寿司をお店で食べる外食と区別した業界用語であったが、今では広く調理済み食品を意味すると考えるのがよいだろう。その内容は多岐、様々であり、料理品小売りとして、あるいは加工食品として集計されたりするので、正確な市場規模が把握しにくい。

 学校や職場で食べる給食は外食の一形態であるとみなされているが、家から持参する弁当は家庭食の延長である。持ち帰り弁当、寿司、高齢者向きの宅配食などは中食の代表であるが、、サンドイッチ、調理パン、、コンビニのおにぎり、テイクアウトしたハンバーガー、フライドチキン、餃子、出前寿司、宅配ピザ、屋台で売られている焼きそば、たこ焼きなども中食であろう。ところが、食パン、漬物、つくだ煮などは家庭内食に使われるとみなされている。

 冷凍のコロッケ、カツ、米飯、レトルトのカレー、シチュウ、インスタントのカップめんなどの加工食品も家庭内食に使われているが、、中食とみてもよいものだろう。肉屋の揚げたてコロッケ、鮮魚店の刺身や焼き魚などは惣菜である。惣菜の大部分は総菜専門店、スーパーの総菜コーナーとコンビニの惣菜コーナーで売られている。デパ地下(デパーの地下食品売り場)ホテイチ(ホテル1階のレストラン売場)のグルメ惣菜も人気がある。

 約15年ほど前、アメリカで流行していたHMR (ホームミールリプレイスメント)の移入が計画されたことがある。スーパーの売り場で買った食材を店内の調理コーナー(イートイン)に持ち込んで好みに合わせて調理してもらって食べる方式である。東南アジアのフードコートにも似たようなものがる。しかし、日本では店売りの惣菜が発達していて便利であるので、実現しなかった。

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