一人一人コメントを読んでいます。結構、英語での反応が日本人以上に多いです。一人ひとり返事を書きますと莫大な時間を喰いますので、各人には返事できません。この場を借りて説明申し上げます。私の記事に感じることがありましたら、コメントください。コメントは一人一人読んでいます。
ということで返事なしになります。今後ともご愛読お願いいたします。
中村信也 東京家政大学教授
一人一人コメントを読んでいます。結構、英語での反応が日本人以上に多いです。一人ひとり返事を書きますと莫大な時間を喰いますので、各人には返事できません。この場を借りて説明申し上げます。私の記事に感じることがありましたら、コメントください。コメントは一人一人読んでいます。
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中村信也 東京家政大学教授
全国統一選挙が終了した。結果はどうでも良いけど税金の無駄が多すぎる。市町村議員の数が多すぎる。皆議員は政治家ではなくて政治屋だからだ。政治屋とは政治を商売とするものをいう。ていのいい失業対策だ。庶民に胡麻をすり、大衆迎合主義(リップサービス)で税金を使いまくる。庶民のたかりも凄いので金がかかってしょうがない。でもちゃんと元が取れるから心配はない。4月に選挙があって6月にフルにボーネスが出る甘い職業だからだ。無論小泉元首相のように信念で政治している人がいたけど極少数なのだ。中国に靖国に行くなといわれて、国のために死んだひとはどうでもいいという政治屋だけ(最近やっと行きだしたけどね)。
日本は三権主義で、立法は法律を作るのが商売。市町村レベルでは条例と予算を作るのが仕事。週に三回ぐらい夜七時から議会を開く。弁当は豪華なのが出せばいい。当然、議員の報酬はないので、定員割れしているけど出席する人は純粋に地域のことを真剣に考えている。給料がないので皆が尊敬していて、溝さらえも、就職も、たかりもしない。
市町村議員はボランティア3期12年やったら県会議員、国会議員への出馬の権利を得るようにする。そうすると国会議員で儲けようとする人は少なくなる。議員は金は要らなくなる。選挙は国営で、車で連呼する必要もなく、公開討論会で主義をかたればよい。
とにかく、日本を借金漬けして入るのに、こんな未曾有の災害に対して、日本中自粛だらけで景気が落ち込んでいるのに、首相は自粛は止めましょうともいわない。また、自分たちの給料を削ろうともしないし、公約通り民主党は議員削減も公務員の給料減らしもしない。
おじさんは不愉快でしょうがない。どうして国民は怒らないのだろうとつぶやきつつ筆を置く。
福島の原発問題で世間は大騒ぎだが、爆発処理から、食品汚染問題にシフトしてきた。食品放射能汚染には明確な数値基準がないので、色んな人が色んなことをいうので、不安助長、風評被害が拡大している。放射能汚染問題は1986年にチェルノブイド原発爆発問題で、25年を経ているのだから追跡調査をやればある程度の数値は出せる。日本は事件に対し財政、技術的にも多大な国際貢献してきたし、原爆投下の経験もあるので基準つくりは日本だけで可能である。食品の安全基準は、動物実験を行い、人への安全係数をかけまくって作る手法であるが、所詮机上の学問である。放射線に関しては現場主義的根拠を要する。
それはともかくとして、日本のエネルギー問題が今後大きな問題になる。駅のエスカレターが止まり、町の灯りも消えていると、節電が重要と分かっていても寂しい感がぬぐえない。エネルギー対策イコール電源問題となるが、現在の電気供給には二つの大きなネックがある。一つは瞬間最大電気消費量問題、もう一つは蓄電問題である。電力会社は瞬間最大電気量に対処しないといけないので節電の必要性が生じる。要は一日では夕刻、年間では夏をどう乗り切るかの問題でこれ以外はそう節電は必要としない。夕刻対策は容易でないが、夏は対策を採りやすい。クーラーの使い過ぎによるものであるから、我慢してもらうことになる。皆に汗をかいてもらえば体力は増強する。国民体力増強運動としてクーラーを我慢する。真夏に窓を閉めクーラーをがんがんつけて、冷蔵庫からビールを取り出して甲子園野球を見るのはもうやらないことにする。甲子園は春一本のみとする。暖房はそう電気を喰わないのである。
蓄電池の開発が今後のエネルギー源を左右する。各社しのぎを削って画期的なものを発明してもらうことになる。エネルギー源として日本は原発は危険であると皆心底分かったに違いない。自然災害の少ないフランスなどは原発中心でよいかもしれないが、自然災害何でも有り有り国では危なくてしようがない。資源エネルギー庁(初めてこの役所の存在を知ったのだが)のエネルギー白書によれば、2004年現在(古いと思うのだが)、火力48%、石炭21%、天然ガス14%、原子力11%、水力4%、他3%となっている。意外と原子力源は少ないのだが、近年原子力発電を増加させる政策をとってきた。
今度の原発事故問題からみて原子力発電は日本に向かないと決断すべきである。と、なると代替エネルギーになるが、現在太陽光、風力、波力などがあるが蓄電技術が未熟(というより無い)ので暫らく時間がかかる。輸入せずにエネルギー増加といえば、水力と地力である。水力はダム式は時代遅れであるので、水路式が妥当である。水路式は明治大正時代の花形であったのだろうが、環境破壊も少なく、実用性がある。それに地力発電(火山蒸気)を推進すべきである。これは、アイスランドに行き、技術を学べばよい。なにせ日本の会社のタービンを使い、全島の電気を補っているのですごい。ついでに道路や家庭、会社に蒸気を提供しているので火山立国である。私はアイスランドに1週間滞在して、この目でみてきたので、推奨しているのである。
これからは輸入に頼る石油、石炭、天然ガス、ウランなどでなく、日本を特徴づける水、太陽、火山などを利用してエネルギーバランスをとってもらいたいものである。そして、国際的レベルで考えるのではなく、日本人が日本に合った政策を施すべきである。
原発の災害問題が地震被災より賑やかになってきた。日本では原発が発電の最大電力源になっている。それまでは原発が絶対に安全、環境にやさしいとなり、やがては日本の電力の8割程度が原発になるだろうという勢いがあった。その安全神話が崩れ去ったのである。今後、原発をこのまま推進するかなるべく減らすのかが、議題になってゆこうが、それは快適生活をどうするかの議論とある。
私は原発を2箇所見学に行ったことがある。見学では原発の安全性を洗脳させる施設であるから、見学にゆくとその気になる。かつて私は国から県に出向していて原発の安全委員会に名を連ねたことがある。年に2回ぐらい定期的会議があったが、データのことでどういうことか分からないことがあったので、何気なく質問した。すると原発会社側はすかさず「問題ない、何らおかしくない」と質問に答えず、半分怒ってそれしか言わないのである。こちらもびっくりして、委員は安全を与えるお墨付きに使われているだけだと感じたことがある。しかし、それでも私も原子力は安全だと思い込んできた。日本の発展のためにいかしかたないことだと思ってきた。
それがこの震災で人々に安全神話は偽りだということを皆に知らしめた。かといって私はマスコミと一緒に、こわい、こわいといって騒ぐ気は毛頭ない。放射線はキューリ夫妻がラジウムからの放射線を分離して実用時代に入ったが、この当時は線量は弱く、薬としてもてはやされた。放射線は微量で刺激、多量で抑制である。それで、ラジウム温泉、ラドン温泉などがあるが自然放射線であるので微量刺激で身体に活性を与えるのである。結構愛用者が多い。ある量以上に浴びると細胞破壊、遺伝子異常、がん発生などを生じる。若い細胞ほど影響を受けやすいので子供が問題となる。成人はそう神経質にならなくてよい。私は日本の水道水はきれいで美味しいのでミネラルウォターは買ったことがなく、水道水を飲んでいる。いま微量含まれているのでそれはそれでよいとがぶのみしている。
問題はどれぐらいの量からを害とするかである。日本の基準では基準内では微量とみてよい。危険量はチェルノブイド事件で答えが出ている。かなりの量の放射線がばら撒かれ、高濃度散布地域の子供らはほとんど甲状腺がんになった。ここでは安全基準の問題は避ける。紙面での問題は今後原発をどうするかである。
日本で原発がなぜ必要になったかといえば、生活が贅沢になってきたからである。年々増え続けるために強力発電機が必要とされてきたためである。熱い日は一斉にクーラーをかけ、アイスクリームを食べ、氷を贅沢に食べる。冬は暖房しアイスクリームを食べ氷も大量に使う不思議な生活をしていて、かつごく当たり前に水道がお湯と水が出るのである。これからは電車も車もバイクも自転車も電気で走るようにので、発電所を増やさねばならないのである。環境にやさしくとなると原発が最高である。
原発がいやだといえば他の電力源を求めることになる。火力発電は石油を膨大に必要とする。水力は電力が低く、季節に左右される。風力・太陽発電は未だ実験段階である。だから原発がいやだといえばこれ以上の快適生活を求めないことである。駅ではエスカレターを設置せず、駅舎内も冷暖房なしにせざるをえない。自宅では冷暖房を控えめにする必要がある。 要は自然の生活になるべく近づけ、社会も豊富な電気生活をしなければよい。
生活の質を落とさず快適生活をしながら、原発がいやだと叫ぶのは喜劇である。快適生活もしなければすぐに慣れてくる。電気代もやすく身体も元気になるのだよなーとつぶやきつつ安上がり生活に満足しているのである。
この前、エステを経営している女性に会った。地震以降自粛でほとんどの客がキャンセルして、ほとんど収入ゼロ状態と半泣きしていた。女の娘一人雇っているが、給料を払わねばならず、貯金を食い潰しているという。行き過ぎた自粛の被害者である。
私の大学も即断的に卒業式、パーティなど全て自粛で中止となった。学生にはご丁寧に来校するなというメールを出している。さすがに、父兄から文句が出たのか急に五日後に簡易卒業式をすることになり、学生に来校禁止解除となった。こちらも中国に出かけていたが、急に卒業式になり、あわてて帰ってきた。
学生もかわいそうである。一生に一度の大学卒業式を女子学生ははかまのレンタルを頼み、美容院も予約しておいた。それが突然中止になると学生は楽しみが吹っ飛び、卒業産業屋さんは泣かずにいられない。災害だからキャンセル料もとれないのである。一年に一回だけの貸しはかま屋さんは死活問題である。花屋も写真屋もホテルも書き入れ時に皆収入激減となる。おそらく日本中の大学もこういう騒動に巻き込まれたはずだ。
過度の自粛は日本経済にとっては有害である。経済を冷え切らせるのだ。地震と関係しない卒業式、会議など関係ないのがキャンセルとなる。現に災害地では卒業式が為されている。そういう私もだらしないといえばだらしない。私はある財団の理事長もやっているが、その理事会・評議員会をある場所でやることになっていた。地震後部下が総会をキャンセルしたいと副理事長がそんなの常識という感じでいうので、そんなの関係ないと自粛しないと私が返事すると、次から次に来てしないとおかしいと私を説得する。さすがに私も強行できず、キャンセルを了承した。会場代、食事代などが浮いたが便乗キャンセルだったと今でもやるべきだったと反省している。
日本は今意味のない過度の自粛で産業が冷え切っている。こういうときこそ産業を活性化しないといけないのに皆で冷えさしている。こういうときは政府は自粛はしないように、キャンセル料は取るように声明を出すべきであるが、黙している。
私は災害産業の育成が必須と考えている。災害のときは災害産業屋さんが「お任せあれ」と速やかにかけつける。そういう災害産業の育成が必要である。災害後ただちに災害産業屋さんが現地に赴いて活躍する。道作り屋さんとか、簡易テントハウス屋さんとか専門業者がすぐ駆けつけるのである。木材ですぐ沸かせるかまどを担いで風呂屋さんが開業する、担ぎ屋さんが現地にすぐものをもって売れそうなものをもってやってくる、港のごみ避けさんが、船の道を作りに駆けつけるなどである。政府や役場から依頼をうけてただちに駆けつけ、頼もしさを与えるとなれば申し分ない。とにかく災害時は民間の力を借りないと自衛隊と役所の人だけではやってゆけないのである。住民の力、民間の力が重要なのである。
いずれにしても産業の活性化が必要である。地震がおきたので日本全国、キャンセル、キャンセルでは日本も力が出ない。地震が日本全体の産業を冷え切らせるのは、最終的には現地へもマイナスになる。地震でインスタントラーメン、乾電池、ラジオ、自転車などは特需となる。政府の人々は地震地の産業が全滅を受けたぶんだけ、他所では産業活性化が必要となる。現在は一緒になって産業を冷えさせては日本の不幸である。