原発の災害問題が地震被災より賑やかになってきた。日本では原発が発電の最大電力源になっている。それまでは原発が絶対に安全、環境にやさしいとなり、やがては日本の電力の8割程度が原発になるだろうという勢いがあった。その安全神話が崩れ去ったのである。今後、原発をこのまま推進するかなるべく減らすのかが、議題になってゆこうが、それは快適生活をどうするかの議論とある。
私は原発を2箇所見学に行ったことがある。見学では原発の安全性を洗脳させる施設であるから、見学にゆくとその気になる。かつて私は国から県に出向していて原発の安全委員会に名を連ねたことがある。年に2回ぐらい定期的会議があったが、データのことでどういうことか分からないことがあったので、何気なく質問した。すると原発会社側はすかさず「問題ない、何らおかしくない」と質問に答えず、半分怒ってそれしか言わないのである。こちらもびっくりして、委員は安全を与えるお墨付きに使われているだけだと感じたことがある。しかし、それでも私も原子力は安全だと思い込んできた。日本の発展のためにいかしかたないことだと思ってきた。
それがこの震災で人々に安全神話は偽りだということを皆に知らしめた。かといって私はマスコミと一緒に、こわい、こわいといって騒ぐ気は毛頭ない。放射線はキューリ夫妻がラジウムからの放射線を分離して実用時代に入ったが、この当時は線量は弱く、薬としてもてはやされた。放射線は微量で刺激、多量で抑制である。それで、ラジウム温泉、ラドン温泉などがあるが自然放射線であるので微量刺激で身体に活性を与えるのである。結構愛用者が多い。ある量以上に浴びると細胞破壊、遺伝子異常、がん発生などを生じる。若い細胞ほど影響を受けやすいので子供が問題となる。成人はそう神経質にならなくてよい。私は日本の水道水はきれいで美味しいのでミネラルウォターは買ったことがなく、水道水を飲んでいる。いま微量含まれているのでそれはそれでよいとがぶのみしている。
問題はどれぐらいの量からを害とするかである。日本の基準では基準内では微量とみてよい。危険量はチェルノブイド事件で答えが出ている。かなりの量の放射線がばら撒かれ、高濃度散布地域の子供らはほとんど甲状腺がんになった。ここでは安全基準の問題は避ける。紙面での問題は今後原発をどうするかである。
日本で原発がなぜ必要になったかといえば、生活が贅沢になってきたからである。年々増え続けるために強力発電機が必要とされてきたためである。熱い日は一斉にクーラーをかけ、アイスクリームを食べ、氷を贅沢に食べる。冬は暖房しアイスクリームを食べ氷も大量に使う不思議な生活をしていて、かつごく当たり前に水道がお湯と水が出るのである。これからは電車も車もバイクも自転車も電気で走るようにので、発電所を増やさねばならないのである。環境にやさしくとなると原発が最高である。
原発がいやだといえば他の電力源を求めることになる。火力発電は石油を膨大に必要とする。水力は電力が低く、季節に左右される。風力・太陽発電は未だ実験段階である。だから原発がいやだといえばこれ以上の快適生活を求めないことである。駅ではエスカレターを設置せず、駅舎内も冷暖房なしにせざるをえない。自宅では冷暖房を控えめにする必要がある。 要は自然の生活になるべく近づけ、社会も豊富な電気生活をしなければよい。
生活の質を落とさず快適生活をしながら、原発がいやだと叫ぶのは喜劇である。快適生活もしなければすぐに慣れてくる。電気代もやすく身体も元気になるのだよなーとつぶやきつつ安上がり生活に満足しているのである。

