第1回に書いた話の続きです。

「農」というものに興味が高まっています。流感のように流行ってしまっている,という感じですが(笑)。広義の「農」と生業としての「農業」は異なるものです。「農」に興味を持つ人はつい「農業」に惹かれてしまいますが,実際にプロの農業者になる人・なれる人は少なく,アウトドア的な田舎暮らしへのあこがれや,家庭菜園として植物を育てる楽しみを農という言葉で表現しているに過ぎません。「農業」という言葉を使ってしまうのは,マージャンをやる人が自らを自嘲気味に「雀士」と呼ぶのと同じで,本来は一種の言葉遊びだと思います。

中には病状が悪化して,プロとしての覚悟がないままに田舎に移り住んで農業を志す所にまで足を踏み入れてしまう人もいます。そういう人の多くが,「農的な暮らしへの憧れ」「食べ物の自給」「環境に配慮した生き方」いったキーワードを口にします。

さて一方,釣りは10人に1人がやっているという最もポピュラーな趣味ですが,釣り人が「漁的な暮らしを求めて」「食糧の自給のために今こそ釣りを」か言ってるのはあまり聞いたことがありません。釣り病も悪化するとソートー重い病気なので(笑),夢中になる度合いは家庭菜園とそれほど違わないでしょう。するとこの違いは何なのでしょうか?

野菜にしても花にしても,植物を育てるのはとても楽しい事です。一粒の種から芽が出て花が咲いて実がなっていく過程は観ているだけでも面白いのです。加えて腕の良し悪しが結果を大きく左右するとなれば,楽しくないわけがありません。畑を借りて,道具を買って,苗を買って,とやっていたらおそらく出来上がった花や野菜を買った方が安いでしょう。それでも続けるのは,収穫物だけでなくプロセスを楽しむのが目的だからです。植物が育つ過程を楽しむ。うまくいけばそれを食べたり人にあげたりできる。それだけで十分楽しいと思うのです。趣味としては。

生業としての農業の面白さは家庭菜園のそれとは異なります。漁と釣りが違うのと同じです。農業と家庭菜園には共通する部分もありますが,農業の本当の面白さは趣味の菜園の延長線上にあるのではなく,別次元のものです。したがって求められる資質も異なります。逆に家庭菜園が上手な人がプロの農家では気付けない面白さを知っていることも多々あります。

農的な暮らしや食べ物を自分で作ることへの憧れは,都会暮らしをしていれば誰でも多かれ少なかれ持つものです。しかしそれは農業に就く事では満たされないケースがほとんどです。都会人が描く「農」のイメージを実現しつつ「業」を成り立たせるのは,極めて困難な事です。よく「理想の暮らしで食っていければいい」と言われますが,僕に言わせると経済農業も出来ない人に農的な暮らしは無理です。むしろハードルが高い物なのです。

大先輩の農家が以前にこんな事を言っていました。「自分は20年経済農業を頑張って子供も育て上げ,困った時は現金収入を得られる業も身につけた。これからようやく自分の楽しみの自給的な暮らしに入って行くんだ。」 とても楽しそうでした。

植物を育てるプロセスを純粋に味わえないのは,簡単に言えば遊び心がないからです。何か「いい事」,ただの趣味ではないという大義名分が欲しくて「自給」や「環境」というキーワードを散りばめるのだと思います。飽きてしまったらやめたらいいじゃないですか。所詮遊びなんですから。

難しい事を考えるのはやめにして,肩の力を抜いて目の前の植物に集中してみて下さい。それだけで楽しいはずですよ。趣味ならばね。
たくさんのコメントありがとうございます。

冬野菜には夏野菜のような派手さはありませんが,寒さの中でじっくり育った野菜には味が凝縮しています。野菜がしみじみ美味しいのはやはり冬です。

冬の葉物が甘いのは,野菜が寒さから身を守るために体内の糖分を増すためです。ただの水は冷凍庫に入れるとガチっと凍りますが,砂糖を混ぜるとシャーベット状にまだらに凍りますよね。あれと同じ理屈です。化学の用語で言う「凝固点降下」という現象です。

同じ品種の野菜を育てても,高温期にヒョロっと伸びた物と,徐々に寒さに当たりながら時間をかけて育ったものでは形も味も全然違います。下の写真は真冬のほうれん草。葉肉が厚くしっかり育っています。この時期のものはエグみもほとんどなく,下茹でなどしなくとも美味しく料理できます。

僕が好きなのはナムル。茹でたほうれん草をごま油と醤油で和えると最高です。


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