喫茶店の飲み物といえばコーヒーですね。コーヒーの魅力は味と、食品には少ない褐色の独特な色合いとともに、独特の香りが大きな魅力といえましょう。かつて最初にコーヒー豆を味わった人は、野生のヤギがコーヒーの赤い実を食べて浮かれていたのを真似たとか。

世界各地のコーヒーの淹れ方を調べると、3つに分類出来るようです。1つは早い時期にコーヒーの飲用が盛んになったイスラム圏におけるイブリクコーヒーです。イブリクと呼ばれる柄の長い真鍮製の容器に、細かく挽いたコーヒー豆と水を入れて煮立てる方法で、砂糖は加えてもあまりミルクは入れないことが特徴。2つめはヨーロッパにおけるコーヒーを濾して飲む方法。この中に蒸気を用いるエスプレッソも含まれます。3つめは中南米で行われている、細かく挽いた豆に砂糖を加えて煮出し、ネルの濾し袋で濾す方法。

いずれもコーヒーをおいしく飲もうとした知恵の結晶で、今も喫茶店でネルのドリップコーヒーを入れているのを見かけますが、そのルーツは中南米だったのですね。

淹れたてのコーヒーの華やかな香りを嗅いだ瞬間、不意に赤面するようなある種の甘い思い出がふと呼び起こされた経験はありませんか。この香りにはストレスを緩和する効果もあるとか。今日はコーヒーと喫茶店のお話を。

 

ヒトは心の中にいろいろな記憶を秘めて生きていますよね。時に「鍵をかけた長櫃の中から恋の奴が掴み掛る」ことも・・・。そんなことを思うのは、歳を重ねたゆえでしょうか。私は、確実に人生の折り返しを過ぎたせいか、喫茶店でひとり過ごす、ささやかな時間がとても愛しいのです。所用のとき、喫茶店が近くにあるならば、早めに出かけます。こうした時間は、その気にさえなると、意外と簡単につくることが出来るものですね。私のお気に入りは、空の見える喫茶店です。そのためには窓が必要ですが、この「窓があること」は、街中では意外と難しくなってきていますね。

朝の喫茶店でのひと時は、夕方以降とは異なった時間が流れているようで、ゆったりと過ごせます。朝の喫茶店で印象深いのは、京都の中京にある老舗の喫茶店。そこは朝から近くの商家の方が悠々と一杯のコーヒーを楽しみ、ご自分の1日の句読点として利用されているのです。京都に行くと旅人の私も贅沢な時間をそっと共有出来たと感じるのです。

 

学生時代はあれこれと動き回っていたはずなのに、時間がありました。生物として、持っている「これからの時間」の量が多かったからでしょう。携帯電話の無い時代、待ち合わせ場所が喫茶店でした。固い椅子に座ってよく本を読みました。まさに私の第二図書館でした。村上春樹の小説の中に描かれる喫茶店の醸す空気をとても懐かしく感じています。最近本屋さんに、喫茶店が併設されていますね。本とコーヒーにはともに、人を引き付けるある種似た香りの成分があるのかも。

 

旅先で喫茶店に入って、是非またその町に行くことがあれば訪ねたいと思うお店に当たると、とても幸せで、旅の記憶の輪郭がくっきりとしたものになります。不思議と駅前や繁華街で、本当に何気なく入った喫茶店がとても素敵ということが多く、後日その町出身者の方と喫茶店のお話しをしていて、「実は、その店に毎週通っていました」ということもあるのです。

 

1970年代後半、三人の男性グループ「ガロ」の歌った「学生街の喫茶店」がヒットしました。歌詞に「訳もなくお茶を飲み話したよ」とあり、飲まれていたのは、紅茶でしょうか。こうしたかつて町に、学生街にたくさんあった喫茶店。それらの喫茶店に関わる思い出は、歳月によってちょっと都合よく脚色された部分があるものの、決して色あせない大切なもの。そうした思い出の中では亡くなった友人も、当時のままの姿で、そっと話が出来るのが、人の気配の中で孤独を楽しめる喫茶店の醍醐味、引き付けられた理由でしょう。煙草の香りが壁に染み込みんだ、固い椅子の好きな席のあった馴染みの店も、マスターも私たちと同様に年を重ね、店を畳む時代になりました。もう二度と扉の開くことは無い喫茶店。特別な場所でした。

私は記憶の中の懐かしい人々にそっと逢うために、頑張って営業している喫茶店に、せっせと出かけています。震災以降、様々な楽しみを自粛する動きがありますが、今夜もこれから行ってきます。

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