こんにちは。読んでいただきありがとうございます。今年は猛暑の影響で海が湯たんぽのように陸地を温めているそうですが、例年通り札幌周辺の山は冠雪し、季節は確実に冬へと向かっています。

 

雪といえば、子供の頃この季節、毎朝布団を抜け出すと窓に直行していました。雪が降ったか否かを、ドキドキしながら確かめるためです。当時の私には「雪が降る」ということはとても素敵なことでした。まさにイヌと一緒です。ところが今は、猫のようにコタツで丸くなっているわけにも行かず、雪かきをしなくては・・・と現実が優先する次第。雪を楽しむ心が磨り減ったのかしらとちょっと反省。

 

私のとっての冬の匂いは、ちょっと煙ったスモーキーな香り。実はモンゴル遊牧民のゲル(移動式天幕住居)にも同じ香りが満ちています。人恋しくなる香りとでも言いましょうか。

今はキャンプでもしなければ、なかなか薪のはぜる音(ぱちぱちという音)や炎の温かみを楽しむことは出来なくなってきました。この独特な煙った森の香りと炎が人類の食にとって、食べ物をよりおいしく、そして安全なものにしてくれてきたのです。様々な干し肉から、秋田のいぶりがっこ(大根の燻製)まで、世界各地にスモークしたいろいろな食品があり、保存食としても最適です。

 

さて、燻製を自作されたことはおありですか?

最近ホームセンターなどで燻製用の様々な道具が売られているのですが、さほど道具は要らないのです。古い北京鍋か一斗缶、それとウッドチップがあれば始められます。このウッドチップの種類によって香りが変わり、混ぜて使っても楽しいですが、お勧めは桜です。市販のプロセスチーズ1本ごと包装を取って10分ほどスモークすると、市販のスモークチーズ顔負けのおいしさに。茹で卵もスモークすると、味にこくが生まれます。煙マジックとでも言いましょうか。焚き火で焼くマシュマロもおいしいですよね。ジンギスカンやバーベキューのお隣でサプライズにいかがですか?

 

話は変わって、先週末、小春日和の午後、ウマに乗って日本海の海辺を走ってきました。わたしの一番の気分転換はウマに乗ることで、砂浜の波打ち際を走る気分はちょっと暴れん坊将軍でしょうか。(石狩市の乗馬クラブでどうぞ)。夏には釣客や海辺でバーベキユーをする家族連れでにぎわう海辺も、今はただ絶え間ない波の音だけが響いているのですが、この日は煙の香りが・・・・。

みれば海辺に人影が。流木をあつめてひとり焚き火をしている男性がおいででした。馬上から挨拶をして行き過ぎましたが、煙の香りが何ともいえない気持ちにさせてくれました。そして焚き火の炎の色は目に沁みるようにきれいなオレンジ色でした。目に沁みるのは煙だけではないですね。日本海の夕日の色が入っているようでした。そこには豊かな時間が流れていたのでした。

 昼下がりの焚き火、うらやましい風景でした。じっくり自分と対話するときに焚き火があるといいですね。

こうしたスモーキーな香りといえば、実はモルトウイスキーの重要な香りつけの表現の定番ですが、ウマの生乳を発酵させたクミス(馬乳酒)をつくる容器にも、この香りを付与する地域があるのです。それはヤクート共和国、キルギス共和国の遊牧民宅で体験しました。クミスをつくる専用の発酵容器がいずれもウシの皮袋でした。定期的に草を低温状態でいぶすそうです。そのため内側も外側も真っ黒で光っていました(写真1)。無論クミス自体もスモーキーです。慣れるとこれがまたやみつきになりそうな味なのでした。

大人の味というところでしょうか。

煙の香りが鼻腔をくすぐると、様々な記憶のフタが開くようです。炎を見つめたのはいつのことでしょうか。

寒中、どうぞご自愛ください。

 

※即席燻製器

システムとしてある程度の密閉性があること。屋外での作業がお勧め。北京鍋ならば底に市販のウッドチップをいれ、うえに金網を載せ、燻製にする材料をのせてふたをして、弱火で10分程度加熱します。本当は冷めるまで放置がよりおいしいのですが、すぐに食べても十分においしいです。煙の味のマジックおたのしみください。

 

 

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読んできただきありがとうございます。ご無沙汰しました。あっという間に霜月。117日は二十四節気で立冬。いつも季節の先取り、センス溢れた言語感覚と思いつつ、北海道に住むものにとって本州が基準の節気のニュアンスに季節の距離を感じることも。そういえば本州のことを子供の頃、周囲の大人は「内地」と呼んでいました。滅多に聞かない言葉ですね。家にあった米袋には内地米と書いていました。今年も北海道のお米は豊作です。

 

今日は食べることについて思いを巡らせてみましょう。食べることはヒトが生きる上で欠かせません。わたしの尊敬する言語学者西江雅之氏は、食べることについて著書「食の課外授業」の中で、「動物は食べ物を摂取するがこれを「食事」とはいわない。食事は人が人たり得てはじめてあらわれた行為である」と述べておられます。食事について考えることは、ヒトの本質を考えることにもつながるのではないでしょうか。

 

日本食はざっくりとした共通認識では米、味噌汁が基本。伝統的な日本食とは何かといったことになると、素材も実に多彩です。季節感も大切にしていました。さて近い過去の江戸時代を眺めると庶民レベルでは、魚類以外は動物性の素材が抜けています。そして料理をつくる専門職も成立しましたが、実に時間のかかるものでした。なにせ火の管理が大変。スイッチオンで出来る自動炊飯器などタイムマシンでもし体験したらさぞ驚くでしょうね。

われわれ日本人は、料理に手間や時間をかける楽しさを経済発展の疾走中に、どうやら落としてしまった様です。この手間をかけ丹念につくる食が、意外なことに南米などに移住した人々の中に残っているのです。私の研究室で今年の3月までパラグアイの日系32名、一昨年はブラジルの31名(それぞれ1年)のJICA研修員受け入れを行ってきました。キュートな女性たちでした。そして日本人以上に日本人なのでした。

彼女たちの南米の食の話として、祖父母世代が豆腐を丁寧に作っていたこと。今も必ず朝は全員でご飯と味噌汁を摂ること。折に触れて日系人が集まって太巻き寿しをつくることなどを聞き、そのふるさとの味への思いに胸が熱くなりました。食べ物の記憶は深く、そこには色や香りと文化が詰まっているのですね。彼女らがおみやげに購入したもので忘れられないのが昆布、鰹節、するめなどのダシをとるための典型的な日本の食材でした。

 

日本の食事の根幹にある「旨み」について考えると、その「旨み」には動物性の脂肪が抜けています。「おいしい」という言葉が直訳すると「脂肪が多い」という意味であるモンゴルは、肉食の歴史が長いことがその背景にあるのです。脂肪の旨みが無い味は美味しいとは思わない訳です。西洋料理においても「旨み」の評価には獣肉とともにその脂肪の味が溶け込んでいることが必須ですね。

私たちが何を美味しいと思うかは、鳥の雛ではありませんが幼少期の刷り込みに似た記憶がものを言うのでしょう。

 

続いて、この季節ならではの美味しいお話を。先週の札幌は10月末の大雪に、紅葉もびっくりでしたがこの時期、鮭の脂がのっています。そんな鮭は焼いたり、サーモン寿司として食べるだけではない愉しみ方があります。

札幌から日本海にむけて北に走ると、往年のスター佐田啓二さん主演の「喜びも悲しみも幾歳月」の映画で有名な石狩灯台があります。その近くに地名である石狩の名がついた石狩鍋の店があります。みそ仕立てで、鮭の身、白子、頭、エラなどの部位をたまねぎ、コンニャク、キャベツと共に煮込み、上に色紙に切った豆腐と葱を乗せ山椒を振った熱々のお鍋を、風格あるお座敷でいただくと冬が近いことを実感します。「今年の営業はいつまでですか?」と尋ねると「根雪になるまでですね」とのことでした。根雪とは降った雪が解けずに春まで積もることで、本格的な冬の到来を示す言葉です。私たちは豊かな季節と豊かな言葉を持っていることを実感します。数年前このお店の上に喫茶店が出来ました。日本海が大きな窓ガラスからさえぎるものなしの迫力で見えます。空と海で、船に乗って海に浮かんでいるような気分になります。

 

時を戻して神無月の10月、函館に出かけたのですが、シーズンオフの港町は、いつまでも歩いていたくなる静けさに満ちていました。坂道の上から眼下に広がる海はいつまでも見飽きません。気ままな散歩の途中に、素敵なお菓子屋さんを見つけると嬉しいですね。

ちなみにこのときは、元町の老舗西洋料理店と、バスク料理店に行き、久しぶりに贅沢で満ち足りた時間を過ごしました。おいしいものはヒトを幸せな気持ちにしますね。この年になると旅先で1人の食事をすることが苦にならなくなりました。1人で静かに好きなものを食べることを楽しむには、寒い季節は良い気がします。さてこれから赤ワインでホットワインをつくろうと思います。 実は最初に書きました内地米を食べていた子どもの頃、この坂と港の街で育ちました。皆さん風邪に気をつけてお過ごし下さい。

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