2012年が始まりました。本年もよろしくお願いします。皆様に良い事がたくさんありますように。

お正月料理といえば「おせち」ですね。その内容、味付けについての決め事が各家庭で申し送りされてきました。重箱に詰められた「おせち」には「農耕とともにあった日本の暮らし」の暮らしが詰まっています。記憶の玉手箱と言えましょう。「おせち」の定番である伊達巻、黒豆、昆布巻き、なますなどは、今日ではご馳走と言えなくなってしまったかのようですが、おろそかにしてはいけない日本の味です。

私の暮らす北海道では、大晦日の夜に「おせち」を食べることが多いのです。大晦日は親戚が集まり、無事に年を越せることを祝って、ありったけのご馳走を並べてきたので「おせち」も早々に並んだのでしょう。何より1年に一度懐かしい顔が揃い、一緒に食事をして一時を共に過ごすことは大切なことでした。

 

北海道の日本海沿岸にある漁師町では、鯨汁が年末に欠かせません。漁師町で育った知人は「鯨汁が無いとお正月が来ない」と言います。つくり方は、鯨の白い脂身を短冊形に切り、大鍋で数日間煮込んだところに、春に取った山菜を加え、醤油で味を整えるそうです。いただくと、汁に溶けた脂で身体の芯まで温まります。「最近鯨が手に入りにくくなって」と嘆く声を聞くたびに、食卓が世界と密接に繋がっていることを実感します。かつて鯨は、魚屋さんの店頭に並んでいた身近な食材でした。

年末、お皿に載せた赤い縁取りの鯨ベーコンを見た一定以上の年代が、「子どもの頃、ベーコンと言えば鯨だった」「鯨ベーコンは醤油に唐辛子をかけるのが一番」「なぜかマヨネーズをかけて食べるのが好きだった」「高級品になっちゃって」などなど、鯨ベーコンに関わる記憶とともにその味を、しばし楽しんだのでした。

 

時は巡り、大晦日の宴の顔ぶれも変わり、規模も縮小しました。ですがお正月に家族、友人と「共に食べる嬉しさ」は変わらないでしょう。こうして人が集まって食べるときに欠かせないのが御飯。米は我々日本人の食を支えてきました。人類史的には日本の地において、米を約2300年、77世代にわたり食べてきたとされています。こうした歴史における時間が「長い」か、はたまた「短い」とするかは、考える基準となる物差しによって同じものが、大きく違う姿を見せます。食において40年という時間があれば伝統となるそうな。なんと半世紀もかからないのです。ひとの一生より遥かに短い期間で食における伝統とは動くもの。そこで「おせち」は、内容、味付けに変遷はありつつも、根幹が平成の今日までよくぞ伝えられてきたと思うのです。そして今我々は、食における伝統とどのように向き合って行くかが問われているのではないでしょうか。

 

今年も新しい料理が紹介され、様々な食のブームが起きることでしょう。ですが「おせち」は中華風、○○風と媚びずにつくりたいもの。「おせち」には日本人の知恵、願いが込められているのですから。「おせち」を子どもが好きな料理ではないからと、料理を子供の嗜好中心にする必要は無いのです。日本の味とはこういうものであると、本来、子どもが経験的に学ぶべき家庭の味が弱くなっていることも背後にあるでしょう。

「おせち」は調理技術という面からみると、日持ちが考慮され、一朝一夕には出来ない料理です。全てを手つくりにと力まず、数品を我が家の味、手づくりにすることを目指しませんか。「おせち料理の基本のき」からの年間計画を立てませんか。来る2013年のおせち攻略を目指し、深謀遠慮は如何でしょう。題して「おせち大作戦」。かく言う私は本件についてあれこれ考え、あっという間にお正月が過ぎました(実に愉しかったのです)。重箱が最近登場していないことも反省しました。食べることを、周辺を含めて楽しみたいですね。そろそろ丁寧に生きなくては。「おせち大作戦」の遂行により、台所で過ごす時間も増えそうです。勿論、家族や知人も巻き込みましょう。そうです、これから準備する家庭菜園やプランターで植えるものの選定も関係してきますよ。さらに身近な先人、おばあさんに注目。血縁の有無はこの際ちょっと気にせずに、近くのお知り合いの人生の先輩であるおばあさんにこちらからお願いしましょう。何が知りたいのかを、具体的に。みなさん経験に裏打ちされた多くの知恵をお持ちです。その知恵を知ることは私たちのこれからの生活にあって大きな喜びとなると思います。

 

最近話題になっているのが自家菜園。好みの野菜を育て、新鮮な自家製野菜を収穫することに魅せられた人が増えているそうです。わたしの勤務先では、食に関する1年生の授業で1 180㎝ほどの一畝のマイ畑を担当し、じゃがいも、大根等を育てているほか、ゼミ単位で畑を持っています。学内に鶏舎があり、鶏糞を肥料にすることも可能。そのためには「切り返し」という作業が必要ですが、こうした滅多に出来ないワイルドな作業も体験可能で、畜産系の大学ならではの食に関わる経験をしています。

北海道はじゃがいもの産地で、秋から冬への今時期は、じゃがいもを使った料理が食卓を賑わします。じゃがいもはモリモリ、ワイワイといった音韻の出る食卓に欠かせない野菜です。「ごつごつとしたお芋のようなヒト」というと、シャイで無口ながら信頼の出来る頼もしいヒトといったイメージが浮かびませんか。

そんなじゃがいもの特徴は①「大地のりんご」と呼ばれるほどビタミンCを多く含んでいること②原産国は南米のアンデスで、地球をぐるりと回って日本に到来したこと③短い期間で育ち、救荒食物としても貴重だったことなどですね。

じゃがいもに関する青春の思い出を。大学生の時、ふるさとの北海道はカニ族というリックを背負った若い旅人で賑わっていました。ひと夏、とあるYHでヘルパー(お手伝い)をしました。YHとはユースホステルの略で、簡素な宿に泊まりつつ見聞を広めるためのドイツ発祥の運動で、今日も世界中にあります。当時北海道に多くのYHがありました。「○○YHの○○料理がおいしい」といった口コミが、旅人であるホステラーの間で流れ、「予定を変更して泊まりにきました」などと、旅とその周辺をひっくるめて楽しんでいたのでした。1泊2食で3000円の時代でした。ヘルパーとして、朝夕130食をつくっていました。ヘルパーは日本中からやってきた仲間です。ある日、カレーをつくろうと思い、買い物に行く仲間に「お芋をお願い」と頼みました。戻った仲間が手にしていたのはサツマイモでした。そうです。彼女は九州出身で、九州でお芋と言えばサツマイモだったのでした。大きな笑いが弾けましたが、北海道で育った者には、お芋とはじゃがいもで、ささやかな「違い」を実感したのでした。今ならば、育った地域の影響として、あれこれと述べることが出来ますが、当時はこうしたことで、地域というものを認識したのでした。

北海道のじゃがいもとして最も知られているのは「男爵芋」で、粉吹き芋、マッシュポテトに適しています。「男爵芋」はヨーロッパのじゃがいもの中で、あまり脚光を浴びた品種ではなかったそうな。「メークイン」は煮崩れしにくい性質を持ち、シチュー、おでんなど煮込み料理に適するといわれていますね。「キタアカリ」は、男爵芋より煮崩れしやすいのですが、ビタミンCが多く、最近収量が増えています。そのほか小粒ながら、原産地アンデスの風味を伝えている「インカのめざめ」は、日本のような長日条件で栽培出来るようにされた品種です。中の色は「キタアカリ」より黄色が強く、オレンジ色に近いです。市販されてはいませんが、中の色も紫色をした「インカパープル」なども本等で紹介されているようです。

南米を旅した折、覗いた市場ではさすが原産地、様々な色、サイズのじゃがいもを見ました。南米では今も、多くの種類のじゃがいもを食べていますが、伝統的な食べ方に、蒸したじゃがいもにある種の土をつけて食べる方法があります。この土(粘土に近いものでした)をつけて、実際に食べる機会に恵まれたのはペルーで、空中都市マチュピチュへ行く途中、インデイオのお宅でのことでした。そのときお皿に盛られた皮つきじゃがいもの色の多彩さに驚きました。お皿には蒸された9種類のじゃがいもが盛大に載っていました。初めての経験でした。土をつけて食べることには、味覚面の嗜好とミネラルの補給という意味合いがあるのでしょう。アンデスならではの芋の加工品として、凍らせた生芋をつぶし、水分を出して保存した乾燥芋もよくつくられています。皮つきマッシュポテトといったところで、様々な料理に用いられていました。

じゃがいもをよく食べる国といえばドイツで、ジャーマンポテトが有名ですが、お隣のロシアでも毎日スープなどを中心に食べられています。モンゴル遊牧民の間でも20世紀以降、じゃがいもはヒツジ肉と一緒に炒めたり、スープの実として食べられるようになりました。葉物野菜に比べ食生活に取り入れた時の抵抗は少なかったようです。こうして寒い国の消費に目が行きますが、スペインの家庭料理においてじゃがいもは、毎日どころか毎食欠かせません。じゃがいもが入ったずっしりとした卵焼きは、スペインのおふくろの味の定番です。じゃがいもは地域によって食べられている種類が異なっても、西欧で食卓に上った歴史が浅くても、今日世界的に広く食べられている食材なのです。

最後に簡単な新じゃがいもの北海道での食べ方を紹介します(某有名レストランでも出てきますよ)。じゃがいもの皮を剥かないことがポイントです。

じゃがいもを丁寧に洗い、ビニール袋にサラダオイルを入れた中を潜らせます。天板に塩を厚めに敷いた上にオイルのついたじゃがいもを載せ、190℃で40分程度焼きます。竹串が通ると出来上がりです。オーブンに入れるとき十文字に切目をつけ、焼いてから少し皮を剥いて、バターを載せて熱々をいただきます。オーブンに任せておけるので、一品ほしいなと思うときや、おやつとしてぜひどうぞ。チーズやサワークリームを載せると、一層おいしくなります。

皆様、冬至まで日没が早まり夜が長い日々ですが、元気でお過ごしください。

すっかりご無沙汰してしまいました。みなさん食欲の秋、お変わりありませんか?北海道はすっかり寒くなり、もうストーブを焚いています。私の仕事場の部屋は、贅沢なことに野幌原始林に面していて、窓いっぱいに原始林の紅葉が広がっています。緑の時期も美しいのですが、紅葉は暖色でとても明るく、冬が来る前の、華やぎに満ちています。今も風に吹かれて落ち葉が舞っています。

 

食べることは、毎日欠かせないことです。我々人類においては、生き抜くために食べていた期間が、時間で考えるととても長かったのでした。ところが幸運なことに、食べる楽しみを、特権階級だけではなくかつて無い大きな市民集団として享受出来るようになったのが現代です。飢えに対する恐怖が薄れている今日、「食べること」について、考えてみようと思います。

口にする対象物には「食べるもの」と「食べられるもの」という視点があります。これは文化人類学者である西江雅之氏の著書『「食」の課外授業』に書かれているのですが、その中で、「何を食べものと認めるかは、判断する者の属するところの「文化」である」と論じています。この文化によって、同じ食品の価値の評価、序列も異なることとなります。

地球上の多彩な文化の影響下にある人類は、この2011年の10月下旬には未曾有の70億人に達するそうです。どのようにして世界の出生数がカウントされているのか、不思議ですよね。毎日、地球上で人は何かを食べているわけで、規模を拡大して考えると、「食べる」という営みは何と壮大なことでしょう。

「味覚の秋」「収穫の秋」には一層パワーアップですね。

 最近、「シンプルな味付けの料理」のおいしさをあれこれ考えるようになってきたのですが、そこに素材のちからとそこにプラスされる調味料などの味が関わっていると思うのです。何をおいしいかと思うのは、遺伝的な要因とともに個人の経験をはじめ環境に大きく左右されるというのは良く知られた話ですね。

 

この9月、仕事でモンゴル国に出かけていたのですが、存分に肉を食べてきました。もちろんヒツジ肉です。

モンゴルで好きな食べものを聞くと「マハ(肉)」との答えが老若男女を問わずに返ってきます。この場合の肉はヒツジ肉で、脂身が含まれていることが前提です。数年前オリンピックで初めてモンゴル選手がレスリングで金メダルをとったのですが、その日、草原にいて、偶然金メダルを取った選手の出身地でした。更にはうかがった先が選手の親戚宅で、それはもう、お祭り色一色で、わたしたちも大いに楽しませてもらった記憶があります。その日以来、当時のモンゴルはオリンピック選手にまつわる話題がマスコミで盛りだくさんとなり、オリンピック選手の好きな食べものを問う特集記事が忘れられません。

答えはもちろん皆さん「マハ」。ヒツジ肉です。いかにもモンゴルらしい答えですね。モンゴル語で「肉をよく食べる人」は、「マハチン」といいます。いい音の響きですね。そこで私たちは何と答えるかというと思うと、答えは多様でしょうね。

さてヒツジの肉の味ですが、モンゴルでの草原で草だけを食べて育ったヒツジはもうジューシーです。私たちが日本で味わうヒツジの味は、本来毛皮を取るヒツジの肉の有効活用としてタレつきが考案された経緯があるのですが、是非、モンゴルのヒツジ肉を味わっていただきたいと思うのです。その味付けは、少量の塩です。香辛料は少量で料理をよりおいしくしますが、モンゴルではこの香辛料がとても少ないのです。無いこともありますが、新鮮な肉ゆえ必要ないともいえるのです。ヒツジ肉を始め、モンゴルで肉は水から茹でます。この水から茹でることで、おいしさがスープに浸透します。モンゴルのこどもの離乳食では、ヒツジ肉のスープと肉本体が、同じ価値を持つとしているのです。

今、日本では居ながらにして世界の様々な食べものを入手出来ますが、モンゴルのヒツジ肉を味わうには、身体をモンゴルまで運ばなければなりません。もう雪が降り、氷点下のモンゴルですが、この寒い時期こそモンゴルの素顔をみることの出来る季節で、温かいモンゴルの肉料理を味わうには最適です。火照った体で外に出ると、夜空は澄み渡り、金属的な星の音が聞こえるほどの美しさです。私はこの一瞬に、いつも「生きていることの本質」を感じてしまうのです。

世の中にまだ、そう簡単に食べることが出来ない「モノ」が存在していることは、実はとても大切なことである気がします。物を入手するには対価を払いますが、お金だけでは済まない様々なモノがいとおしくてなりません。日々丁寧に生きなければと思うようのは、こんな季節だからでしょうか。

どうぞ風邪など召しませぬよう、お元気でお過ごしください。

 

 こんにちは。立秋本当に暑いですね。日本では幾分涼しいはずの札幌も連日暑い日が続き、食中毒警報が出ています。ちなみに北海道の家庭はほとんどクーラーを持っていません。

食中毒は細菌やウイルスによって引き起こされますが、困ったことに腐敗とは異なり、味や匂いによる判断が出来ません。「最近食中毒が増えた」という声を耳にしますが、食中毒の判断がしっかりなされるようになったことも関与しています。

この夏も食中毒防止のため、衛生管理に細心の注意を払い、大規模な食事つくりから、家庭の食卓まで、しっかりとした加熱調理を行うことが欠かせません。火を使って料理をつくるのも体力勝負です。

 

 この夏の盛り、中国へ行ってきました。そこで今回は中華料理のお話を。

 中華料理といえば、前菜を除いてしっかりと火が通った料理です。思えば冷蔵庫などという近代の知恵が結集した電気製品が家庭規模に備えられたのは、人類の歴史からみて、ごく最近のこと。食品が腐る速度に対し、どのように食品を有効に長持ちさせるかが料理技術で、冷蔵庫の普及は食生活において想像する以上に大きな恩恵です。

中国で20数年前に暮らしていたころ、当然ですが日々の食事は中華料理した。その頃は冷蔵庫を持っている家庭も少なく、強い火力でつくり、出来立ての熱々を食べなければいけない中華料理は、食中毒を防ぐ意味からもとても合理的な料理方法であると痛感しました。そして今のように丁寧に野菜を洗わなくても、大量の油で炒めかつ煮てつくる日本とは全く異なった野菜炒めの手法も、寄生虫の予防に最適と納得したものでした。中華料理で盛り付けに凝るのは前菜のみで、皿の上には包丁の冴えが細工物などに遺憾なく発揮されます。あとの料理は北京鍋の中で完成する味が勝負で、そのまま皿に盛り付けます。つくってからおなかに収まるまでの時間が短いのです。そこでつくってから時間が経ったあんかけ料理など、総じて冷えた中華料理に触手が動かないことは、実は食品衛生からみえると、理に叶っていると納得するのです。1秒でも早く食べようとする中華料理において、おいしさと食の安全はセットになっていたのでした。先人の知恵ですね。そんなことを思い出しながら中国の街角に久ぶりに立ったのですが、活気に満ち食事を出す店舗の数も多く、まさに国を挙げて食べることに向かっている気がしました。

 

内蒙古の省都フフホトで夜に食事をしたお店は、おいしく予約が取りにくいとの評判のお店でした。規模も大きく、最大5000人が食事を出来るとのことでした。もっとも中華料理なので5000人の盛り付けがすべての料理で必要なわけではありませんが。さすが大きいことが好きなお国柄ですね。

入口を入ると、日本のデパートの食材売り場を華やかにしたようなデザインで多彩な食材が並んでいました。料理のつくり手と来店した客の熱気が華やかに伝わってきました。魚は巨大生簀で水族館のようでした。1角にはさりげなく鰐もぶつ切りになっていました。それらの食材を、どのような料理方法で何人分とオーダーするのです。このメニュー相談は楽しいものですが、センスが問われます。この時15名で食事をしたのですが、様々な料理が続々と回転テーブルに載り、ロブスター、カニ、鰐、すっぽんを料理した皿も登場しました。

 スープにはツバメの巣、あわびなど高級珍味が盛大に入っていました。スープはお店の実力が出るものですが、平凡な味覚を持った人間としては、「1品で食べるともっとおいしいのに」と思ったのでした。食べることを楽しんでいる中国の今を実感したのでした。煮る、焼く、蒸す、茹でるといった料理方法を組み合わせ、さらには時間をかけてなまこなどの乾物を戻し、生以上においしい料理に仕上げる料理技術は、この21世紀にもしっかり伝わり、人々を愉しませていました。今回の旅は中華三昧で、いつもご飯に至るまでに満腹となり、白いご飯を食べながらの日本式の中華の味わい方もいいものだと思ったのでした。

こんにちは。読んでいただきありがとうございます。北海道はやっと緑に染まる季節を迎えました。今日は夏至。北方の国々では様々なお祭りが催されていることでしょう。

我が国でつくられている世界地図では、日本は真ん中に描かれています(海外でもそれぞれの国において自国が中央に描いた地図がつくられています)。そうした世界地図で日本とヨーロッパの間に広がっているのが中央アジア。遊牧民の末裔が暮らしています。

1990年代に中国新疆ウイグル自治区に行った折、万年雪を戴く天山山脈を見て、向こう側の国へ行ってみたいなと思ったのでした。2007年以降、数度天山山脈を越える機会を得ました。

余談ですが、カザフスタンのスタンとはモンゴル語で氏族を意味するヤスタンが由来とか。こういったことから遊牧世界で今日まで及んでいるモンゴルの影響を感じます。国名にスタンがついているのは、キルギスタン(現在はキルギス)、トルクメニスタン、ウズベキスタン、パキスタン、アフガニスタンです。今日紹介するカザフスタンとは直訳すると、「自由の戦士の氏族」。

遊牧民を語るとき、広大な空間を移動する手段としてウマが登場します。ウマは遊牧民にとって単なる家畜では無く、特別な存在。以前のプログでモンゴルにおいてウマの乳からつくる馬乳酒を紹介しましたが、そのモンゴルにタヒという、染色体が1つだけ通常のウマとは異なる野生ウマがいます。体毛が茶色で鬣が黒く、足の先半分が黒い小型のウマです。とても珍しいためヨーロッパの動物園に売られた悲しい歴史があります。仔ウマを捕るためのハンティングで、剽悍なオスウマは当然のごとく仔ウマを守るために立ち向かい、皆銃で撃たれてしまったそうです。そうしてモンゴルの草原からタヒの姿は消えたのでした。90年以降、ヨーロッパの動物園で僅かに飼われていた個体が、モンゴルの草原に戻されました。凄い試みですね。今日、日本の四国に匹敵する面積の国立公園で厳重に保護されています。個体数もやっと増え始めているそうです。タヒはとても用心深く、遠くから双眼鏡越しに見ただけでしたが胸が時めきました。このウマを見るため世界中からモンゴルへ多くの人がやってきています。専用のツーリストキャンプが設けられています。

ほとんど知られていないのですが、カザフスタンにもタヒがいるのです。広大なアジア大陸がつながっているということを実感しました。カザフスタンは世界で9番目という広大な国土を有し、野生動物、生態系の保護に力を注いでいます。国立公園のシステムが見事に機能しているのです。かつての首都アルマトイから車で北へ300キロの国立公園で、自然保護官の立会いのもと、タヒに出会いました。さらには直に触ることが出来ました。ウマ好きには忘れられない経験でした。

そしてカザフスタンでは、ラクダ飼育が盛んです。ラクダは水無し、草無しで長く移動することが可能で、棘がありヒツジやヤギが食べられない灌木や草を消化出来ます。家畜化された動物の中で最も条件の悪い環境で生きられる能力を備えた大型動物を、家畜化し搾乳まで行うこととした遊牧民は凄いですね。

日本でラクダといえば、コブが2つのフタコブラクダを連想しますね。ところが海外では、ヒトコブラクダが主です。映画「アラビアのロレンス」の戦闘シーンも、ヒトコブラクダ隊が疾走していました。

北アフリカから中近東、トルクメニスタンにかけての広い乾燥地域で、ヒトコブラクダが飼われています。フタコブラクダは、モンゴルと中国の乾燥地域に生息していますが、世界のラクダ分布では少数なのです。

鳥取砂丘のラクダは月の砂漠の歌のイメージからか、中国産のフタコブラクダです。カザフスタンは、これもまた知られていませんが、ヒトコブラクダとフタコブラクダが世界で唯一、混在して生息している国なのです。地理的な特殊性ももちろんありますが、これらが凄いことであることを実感しています。

ヒトコブラクダはフタコブラクダよりちょっと小さく、搾乳量が多いことから、北アフリカの諸国で多く飼われ、今日FAOの統計を見ると北アフリカ、アラビア諸国ではウシ乳の消費量より、ヒトコブラクダ乳の消費量のほうが遥かに多いのです。ラクダの乳が、飲用目的で広く売られているとは、意外な気がしませんか。一方フタコブラクダはヒトコブラクダよりも大型で、力が強く、寒さに強いことから、モンゴルやカザフスタンでは搾乳対象であるとともに、使役にも用いられてきました。

カザフスタンではこうしたラクダ乳を複数の乳酸菌と酵母で発酵させ、濁酒状のシュバット(アルコール度3%前後)というお酒がつくられています。モンゴルではホールモグと呼んでいます。「ウマの乳からつくるクミス(馬乳酒)よりシュバットのほうがおいしい」との話もあちこちで聞きました。ラクダ乳は脂肪分がウマ乳より遥かに高いため、濃厚な味わいで、クミスのように成人で1日5Lもの大量の飲用は難しいです。こうした民族飲料への強い嗜好性は、民族の記憶が支えてきているのですね。

遊牧民が代々伝えてきた乳加工が省略化し、搾乳する家畜の種類も減少する中、近年シュバットはその飲用による医学的な効果に関心が高まってきています。この夏、カザフスタンへの旅は如何ですか?天山山脈を望み、シュバットを片手に家畜の群れを眺めるといった、何もしないという贅沢な時を過ごすことが出来ますよ。