新茶の季節ですね。今年は天候不順でお茶の産地は大変だったようですが、例年通り静岡の親類から新茶が送られてきました。北海道に来てびっくりしたことの一つが、新茶を飲む習慣がないこと。でもお茶が育たないのですから当り前、日本も広いのだって納得しました。 中国茶器2.JPGのサムネール画像

中国茶器.JPGお茶に関しては世界は広くもあり、狭くもあります。ま ず名前については実に狭い。チャ、チャイ、ティー、テとさまざまながら、世界中 で同じ中国語源の単語 を使っています。でも中国茶の作法が非常に洗練されているのは「さすが」です。同じルーツなのに、日本茶の作法とはまた違っていて、やはり世界は広い。

  サモワールというロシアのお茶道具は、ため息が出るDVC00025.JPGほど華麗なのもあって、昔のロシア帝国の栄華が偲ばれますよね。これはいわば現代でいえばお茶ポット。部屋でいつでも温かいお茶が飲めるように考え出された道具です。これほど豪華ではないけれど、同じ原理を使っているのが、トルコや私がいたバルカン半島などで愛用されている、トルコティー。上下2つのポットを重ねて、下にはたっぷりの水、上には紅茶の茶葉と少量の水、それを火にかけて、いわば茶葉を湯煎にして煮出します。濃い茶を下のお湯で割って、お砂糖をいれて、可愛いコップでいただきます。 

the minthe tente Save Africa.jpgびっくりしたのは、西アフリカやアラブの国で中国の緑茶(りゅうちゃ)(日本茶の針形をした緑茶(りょくちゃ)と違い、丸くなっています)がずっと以前から生活の基本となっていること。「中国茶がこんな所で、なんで?」とびっくりしました。遊牧民の沙漠での生活にも欠かせません。テ ントの中で、あるいは砂の上で、小さミントティ Homme Zouerate.jpgなポットに茶葉と水を入れ、火にかけて、お砂糖たっぷりに、手に入れば生のミントも入れて、ちっちゃいコップに注いで飲みます。朝はお茶で始まり、昼間も疲れたらお茶でエネルギーを補給し、夜も夕食後の一時をお茶で寛ぐ、という具合にお茶無しの生活は考えられません。淹れ方も地方によって異なっていて、モーリタニアでは小さなコップお茶を移し替えるのを繰り返します。これは泡を立てるため。この泡を注意深く残して、そこにお茶を注いでいただきます。モロッコでははるか上の方から小さいコップにこぼさないように注ぎ入れるのが技の見せどころ。どちらの場合も泡立てて味をまろやかにするのがミソで、日本の茶道にも通ずる知恵です。(インドのチティポット赤1.JPGのサムネール画像ャイも鍋を2つ使って何回か移し変えて泡立てる、と聞きました。)西アフリカ、アラブのお茶は3回淹れるのが習わし。その間、人々はおしゃべりに興じ、そして3回廻ったところで会はお開きになります。 

イエメンに行った時、首都サヌアで道を歩いていたら、見知らぬ女の人から、「家でお茶を」と招待されました。遠来の人を歓迎する遊牧民の伝統が残っているのでしょう。女性用のサロンに入ると、それモロッコティーセット.JPGまでかぶっていたベールも脱ぎ、腕などもあらわにして寛いだ人たちにミントティーやお菓子をご馳走になりました。隣の部屋は男性用 のサロンで、男の人たちの集まりが行われているということでした。アラブの国ではこのような茶会で娘の結婚など、あらゆることが決められます。アラブ版「呑ミニケーション」といったところでしょうか? 

世界のいろいろな茶の文化を見ると、世界は広い。でも遠いアフリカで中国の茶が欠かせないのを見ても、世界は狭い。結局「お茶を飲む」、それは単に喉の渇きを癒すだけでなく、人と交流することなのですね。日本の茶道も「人をもてなす」こと。この精神は世界どこでも同じようです。イギリスの社交界のサロンで発達した「午後の紅茶」も、西アフリカやアラブのお茶も、ロシアのサモワールも、トルコティーも、中国の茶道も。お茶を通した人との交わりが文化を作り上げていったのですね。

 チョコレートというと日本ではバレンタインデーと結びついていますね。でもヨーロッパでは、それよりも復活祭のイメージが強い。3月から4月にかけてのお菓子屋さんの店先はチョコレートで作った大小さまざまな鳥や卵やウサギで飾られます。パティシエやショコラティエの腕の見せ所。それを見ると、『あ、春がきたんだ!』と実感して、つい買ってしまいます。まず飾って楽しみ、次に割って食べる。そのおいしいこ  と!大きな卵の中には小さなチョコレートが一杯。卵はチョコレートで出来ているとは限らなくて、写真はリモージュ焼きの磁器と、マキシムの洒落た容器。

卵リモージュ焼き.JPG卵マキシム.JPGこれらの容器は本来は宝探し用!草がちらほら生えだした林に大人が容器入りのチョ   コレートやら、ちいさな贈り物やらを隠しておきます。それを子どもたちが林に繰り出して探し回るのです。私も息子が小さかった頃、スイスで楽しんだのですが、フランスの友人が今年子どもとやったと話していましたから、この習慣は今でも健在なのですね。卵チェコ3.JPG

 

もう一つの楽しみは卵の絵付け。写真はその頃スイスに亡命していたチェコ人から貰った卵。当時、帰りたくても帰れない故国を偲んで作ったこの卵を見ていると、国の運命に翻弄された友人のことが思い出されます。

卵草木染.JPGこちらは息子の友人のスイス人のお母さんに教わりながら私が作った卵。森から取ってきた木の皮を煮出した液に、両端に穴をあけて中身を空にした(それが結構大変でした)卵を浸します。その卵は模様が浮き出るように、草の葉などを貼り付けて糸で縛っておく。そんな素朴な草木染めでも30年経った今これだけ鮮やかに残っているというのは驚きです。これらを見ていると当時の様子がいろいろ浮かんできます。

チョコレートはアフリカやインドネシアから輸出されているのに、何故スイスや、ベルギーや、フランスや、オランダがチョコレートやココアで有名なのでしょう?チョコレートの原産地はなんとアメリカ。マヤから伝わって、アステカの昔の王様が金の盃と金のスプーンでチョコレート(ココア)を飲んでいるというのがスペインの記録にあります。その頃はとっても高価な貴重品だったのです。でも今ほど美味しくはなかった筈。ヨーロッパでも最初は王侯貴族の飲み物でしたが、やがてカカオバターとパウダーの分離に成功したり、ミルクと混ぜる飲み方や食べ方が発達したりして、いまのチョコレートになるわけです。原料のカカオは植民地だったアフリカやアジアのプランテーションで生産され、宗主国であり加工技術が優れているヨーロッパに運ばれてそこの特産になったのです。

ところで、"slave free chocolate" 「児童奴隷フリーチョコレート」というのを聞いたことがありますか?カカオ豆の生産に沢山の子どもたちが奴隷と同じような形で使われているので、「そのような労働で作られたチョコレートではないと証明されたチョコレート」のことです。日本でもそういう取り組みが一般化すればいいのですが。

みなさま

たくさんのコメント、ありがとうございます。

らぁるさん 「小さい頃からの夢は海外に住むこと。30を超え、子供がいますが今も、その夢は捨ててはいません。」だそうですが、私も初めて海外に出たのは25過ぎてから。ジュネーヴ大学に子連れ留学した時は30を超えていました。夢は持ち続けてください。

 

 

モシ農家全景横長2.jpgアフリカに2週間ほど行って、帰国したばかりです。あまりの温度差に風邪をひいてしまいました。ブルキナファソという国、知らないでしょうね?西アフリカの小国で、世界最貧国の一つです。年配の方だったら『オートボルZiniare 農家の台所3.jpgタ』という名を学校で習ったかな?独立して国名変更したのです。ガーナの北にあって、同じくシアバター(カリテ)の木が自生するので、婦人団体などが一生懸命加工しています。民族によって家のつくりなども違うのですが、私の行ったモシ族の家は丸い土壁と草屋根でとっても可愛い。旦那さん、第1夫人、第2夫人、第3夫人などのそれぞれの小屋、また床を地面から浮かせた穀物倉庫などが塀の中に立っている様子はおとぎの世界みたい。

 

 

あちらで食べた料理を紹介します。写真左はトゥという主食とオクラのソース。今ではすっかり日本食に溶け込んでいるオクラですが、アフリカ原産。信じられないでしょうが、わたしが子どもの頃は日本にはなかったのですよ。前にナイジェリア人が家に来た時にオクラのお浸しを出したら、「これはオックラ じゃないか!!」とびっくりされました。「オ」に強くアクセントをおいた発音で、日本にもあること、しかも食べ方が全く違うことに驚いたようです。ちなみに英語圏アフリカではオクラ、フランス語圏アフリカではゴンボということが多い。英語ではレディーズ・フィンガー(婦人の指)という洒落た名がついています。

オクラソース トウ.JPG gombo sauce.jpg

 

 

アフリカでの食べ方は、ずばりあのネバネバの利用です。左の 写真のように生の緑色のを使うこともあるけれど、普通は切って干して保存して1年中使います。肉や野菜を煮込んで主食にかける、乾燥オクラ入りのどろどろのソース(写真右)は毎日食べる、いわば『お袋の味』なのです。わたしも大好きです。

 

gombo fleur.jpgところで「花オクラ」って食べたことがありますか?これは中国原産だそうでアフリカにはありません。普通のオクラの花(写真)もきれいで観賞用としても耐えられますが、それと同じ色形(黄色くて薄い花びらの真中が深紅)で、でもずっと大きく20センチはありますから見ごたえ十分で、食べるのはこの花の部分だけ。生でサラダにいれても彩がきれい。2杯酢、3杯酢、お浸し、味噌汁、澄まし汁などに使うと、ちょっと粘り気があって、つるっとのど越しがよく、あっさりしていて、私の好物です。ただ熱湯に入れると変色してしまいますから、酢を入れて色を保存しないと。もうひとつ、花オクラの最大の短所、それは、朝開いて、摘んでも摘まなくても昼下がりには花が萎れて見る影もなくなってしまうこと。ですから市場には絶対に出回らない、栽培している人だけしか食べられない、幻の食材なのです。

 

トゥについてはまた後日に書きますね。

皆様はじめまして。新しくブロガーの一員となった箱山富美子です。20余年にわたる外国生活から日本に帰ってきて6年経ちました。食物栄養学科で教員をしていますが、実は私の専門は栄養とは関係ありません。でも食べることは大好きだし、なにより好奇心旺盛で、いろいろな国の食べ物にも興味津々。いままでフランス、スイス、コソボ、アルジェリア、スーダン、モーリタニア、ラオスの7カ国にそれぞれ2年から6年住みましたので、その経験を皆様と共有しながら、日本の食の問題を考えていきたい、と思っています。よろしくお願いします。

 

Dattes brin.jpg

さて、第1回はナツメヤシの話。小学校の時、「地中海沿岸の特産物にはナツメヤシがある」と丸暗記したのを今でも覚えているのですが、どんなものかは想像すらできませんでした。アルジェリアで初めて食べた時、「おいしい!」。干柿と黒砂糖を足して2で割ったような味。形も色も干柿を小さくしたみたいで、ひも状の枝に並んでついているところもそっくり。遊びに来ていた母は、てっきり糸で一つ一つ結んでつるした、と勘違いして、「こんなに小さく、細かい作業をよくやったねえ!」と感心することしきり。その後はナツメヤシを食べる度にそれが我が家の笑い話になりました。

 

ナツメヤシは地中海沿岸の砂漠地帯の人々とは切り離せない、特別

オアシス シンゲッティ?.jpg

な食べ物です。砂漠を延々と車で走って行って、緑が見えてきたらそれはナツメヤシの生えているオアシス。中に入ると涼しいし、水はあるし、その林が人間に贈ってくれる食べ物が、このほっぺたが落ちるほどにおいしい、甘いナツメヤシなのです。砂漠の民の命の糧。カロリーの供給源だし、ミネラルも豊富。ですからお客様が来たらまず供されるのがこれ。ラマダン(イスラムの断食月)の1カ月間は、水を飲むことも唾を飲み込むことさえできない昼間中の断食の後、日が落ちてまずナツメヤシを数粒食べ(多分お腹の調子を整える意味があるのでしょう)、お祈りをして、それから食事をするのが決まりです。

 

モーリタニアでゲトナとよばれる7月頃の収穫期には、都会に出ている人たちも故郷のオアシスに帰るので、まるで日本のお盆のよう。いつもは閑散としているオアシスが大勢の人たちで賑わい、家族や友人たちとの密度の濃い交流が復活します。そして皆でナツメヤシをたらふく食べて満足するのです。

 

ナツメヤシの色は鼈甲色。といってもベージュから茶色、赤っぽいのやら黒っぽいのまでさまざまで、 Dattes2-2.jpg質感もねっとりしたのから、カラカラに干からびているのまで。種類は実に豊富です。アルジェリアの人々は「世界一高品質のナツメヤシを産する」と自慢していましたが、それぞれが自分の国のが一番いい、と思っています。食べ方は、このまま食べるのが一般的ですが、中の種を取りのぞいてピスタチオやクルミをはさんだり、アーモンドの餡を詰めたのも美味です。その上、幹は日干し煉瓦の建物の屋根の梁になくてはならない貴重な建材だし、葉も小屋を作る時の材料だし、ざるなどにも加工されるし、厳しい日差しを遮ってオレンジや野菜づくりを助けるし、木全体が砂漠の生活を支えてくれているのです。

 

ところでナツメヤシは日本とも関わりが深いのをご存じですか?お好み焼きのソースのあの甘い独特の味を出すのになくてはならない材料なのですって。

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