4月になりました。今日で地震から3週間を迎えます。

 今週は、長い1週間になりました。体調を整え、大学人として今何ができるのかを、恩師から考えさせられ、モチベーションをあげた途端、クラスの行方不明だった学生の遺体と対面することになりました。残されたクラスの子どもたちになんて説明したらいいだろう、、、案の定、「間違いじゃないですか、私たちがもう一度探します」、仲よしの学生は取り乱します。何かしていないとやりきれなくなり、三陸自動車道が通行可能になったので、連日、石巻、女川の避難所を回ることにしました。

女川で:

 女川は、まるで戦場の跡のようでした。保健センターのスタッフと会い、思わず涙、、、役場は4階まで水があがり、屋上で一晩過ごしたとのことで、津波は20回ほど押し寄せたそうです。未だ電気も水も来ておらず、町の中央の高台にある体育館には700人が避難生活をしていました。その他に避難所が30ヶ所ほどありました。自衛隊の人が体育館の裏手の運動場にテントをはり、テキパキと物資の仕分けをしていました。まるで、映画のロケのようです。中学校の体育館には、物資がたくさんありましたが、非常に偏っていて、欲しいものがなかなか来ない現状です。町長さんにも会いました。「町の職員も皆、家族を無くしているのに、とても頑張っている、、、とても健康づくりには程遠い、、、」と。言葉が続きませんでした。課長さんにお見舞いの言葉を言うと、みんなだから、、、と、本当に頭が下がります。

 スタッフからは、まず、水分が欲しいと言われました。ミネラルウォーター、ウーロン茶、野菜ジュース、、、何もないのです。給水車があるからいいでしょ?って感じ。お年寄りはトイレを遠慮して水分を控えているとのこと。また、水を大事に保存して飲んでいたり、さらにストレスも加わって、胃腸炎が発症したとのことでした。

 次に野菜、根菜類や生の野菜が食べたい、、、とのリクエスト。私もなんとかスタッフ30人分は持参したものの、700人分となると、さすがに手も足もでません。

 あとは、調味料がさとう、味噌、しょうゆしかないので、料理の幅が広がらない。酢、みりん、コンソメ、マヨネーズが大量に欲しいとのことでした。調理員さん方もお疲れのことと思います。

 そして、食器。いい加減、発泡スチロールは、もうそろそろ。確かに、本音でしょう。瀬戸物とは言わないけれど、学校給食用の食器が欲しいと言われました。義務教育はもう10日もすると開始ですが、食器がありません。塗り箸も、懐かしいと言われました。

 一方、たくさんあるのは、あまい、あまい菓子パン、、、これじゃ、糖尿病になってしまう、、、と、笑ってました。カップラーメン、インスタントお粥、何でもいいので、5000食が欲しい、、、と。食料の他にも、小学生の子が胸の下まであるパンツをはいていたと教えてもらい、思わず苦笑。自分の無力さを感じます。もうすぐ予定日の妊婦さんがいました。無事に生まれることを祈るばかりです。

石巻で:

 石巻は、だいぶ落ち着きをみせ、町もガレキが片付けられてきましたが、身元不明がまだ2000人以上とのことでした。「遺体があがるだけ、まだ有り難い、、、諦めきれないよ、」との声に、何とも表現できない悲しみを感じます。避難所は、だいぶ軌道にのっているのですが、市役所のスタッフまでは物資が行き届きません。スタッフから、「何でもいいから、温かいものを食べたい」と、、、コーヒーもない状態です。「え?こっちまで来ないの?」市民の健康を守る側がこれでは、悪循環です。「忙しくて買い物にも行けない、、お湯を注いて食べられるものを、、、」とのリクエストに、「よし!保健スタッフの健康管理は、私が担当するね。」と約束して帰ってきました。

 生き残った人が、するべきことはなんだろうか、、、

ガソリンや食料を求めて多くの人が長蛇の列を作っています。

今日は、被災してみて感じたことを、ありのままに書こうと思います。お金、物資、電気はたくさん無くても生きられます。

お金

連休も重なって、未だに近くのATMは使えません。生命保険や証券もあるでしょう、、、でも、すぐには使えない。非常時には持ち出すことさえ不可能でした。財産がたくさんあっても、一家が地震や津波で被害にあってしまい、親族が誰も生き残ることができなかったら、何の意味もなくなるような気がします。お金は人が生きていて、初めて人のために役立つのではないか、、、と先日友人と話しました。

物資

1週間程度のものがあれば生きられます。それ以上のため込みは無駄な気がします。たくさん買いだめしても、地震が来たら何も持ち出せません。小さいバッグでさえ持てませんでした。着の身着のままで逃げるのが、精一杯です。その後は、誰かが供給してくれます。大丈夫です。

食料

日頃から小さい商店をおさえておく事が大切。大型スーパーはストレスになるので行きませんでした。私は田舎暮らしなので、小さい頃から行きつけの〇〇商店が町内にたくさんあります。おばちゃんが一人で店番をしているようなお店です。地震の次の日も、傾いたお店で早速営業してました。「おばちゃん~何か食べるもの、な~い?」 「お豆腐・牛乳・卵・野菜、いろいろあるよ」 そのお店は毎日農家から直に仕入れをします。ですから、我が家の食卓では野菜がなくなることはありませんでした。お魚屋さんも肉屋さんも停電の中、冷蔵庫がダメになるからといって営業してくれました。真っ暗闇での買い物です。牛乳は、むかえのおじさんの親戚が酪農家で、工場が停電のため出荷できなくなったからと言って持ってきてくれました。卵もそんな感じです。欲しいものに意識をあわせれば、思いがけず手元に届きます。物物交換ですね。

電気

電気が遮断されると水もだめ、お料理もトイレも不自由になります。隣りのおじさんが発電機を貸してくれました。これがまた便利。うちは地下水の汲み上げができました。発電機はガソリンで動くので、ガソリンを提供。

ガソリン

親切な友人が分けてくれました。大きなスタンドが閉店している最中、町のはずれの昔から何十年もお付き合いしている商店が整理券を発行して、1人10リットルを提供してくれました。有り難いことです。満タン給油しても、津波で一瞬で流されます。石巻では車の中で遺体となって発見されるケースが多かったと聞いています。道路が渋滞になり、車を持ち出した人達の多くが逃げ切れなかったと。

 

あれも欲しい!、これも無くっちゃ災害は乗り切れない!と言うのは生き残った人の話です。非常時のために、どんなにお金や物資を溜め込んでも、「死んだら使えない」事を、私はあえて皆さんにお知らせしたいと思います。そして生き残った時に本当に必要なのは、「人とのつながり」です。日頃、「誰かのために何かできること」を考えていれば、どんなに悲惨な出来事に遭遇しても、必ず誰かが助けてくれます。もし不安になったら、人に甘えて下さい。私もたくさんの人に助けてもらいました。実は生活が安定し、疲れが出たのか一昨日から体がだるくて起きていられなくなりました。友人から、恩師から、そして昨日はまだ会ったことのない素敵な人から、生きるためのメッセージをもらいました。ありがとうございます。自分のため、家族のため、十分に物がないと不安、、、というのは、私の中の幻想でした。そういう時代は終ったんだと感じます。

 

人が人を思う気持ち、、、生きるための物資は、その人の愛で、循環すると確信します。

避難所から、各市町村へ受け入れが始まっています。大学でも昨日、最後の学生2人が避難所を後にして行きました。地震当日は100人ほど非難、その後常時40人くらい寝泊りしていた校舎も、ひっそりとなりました。ガソリンを手に入れ、食材をどっさり買い込み、泊まる気満々だった私は、研究室の片付けをすることにしました。

6階の研究室はメチャメチャで、本と書類で足の踏み場もありません。パソコン機器も壊れてしまいました。「やりたくない、、、」の一言です。必要な物と、不要になった物を分けるのが大変、思考能力低下で全部捨てたい。見かねた隣の研究室の先生が手伝いに来てくれました。それでも終わらない、、、お片づけボランティア求むです、、、

 

皆さんからも「何かできること、、、」というコメントを多くいただきましたので、今日は女子学生の視点で?欲しい物や、して欲しい事を書きたいと思います。

まず、物資。

浜辺の避難所では、物資が整い始めました。何もなくなった学生が一番始めに欲しいと言ったのは、携帯電話でした。津波で流され、携帯がないと生きていけない、、、と、命綱なのでしょう。お財布と携帯だけ持って避難した学生は、下着、生理用品が欲しいと言いました。毛布より下着なのです。それもかわいいのが欲しい、、、と贅沢な希望。次は、集団の中で生活するためにデオドラントスプレー、各避難所のトイレは本当に悲惨で、若い子は臭いにとても敏感です。

なんと言っても意外なのは、食料はわりと優先順位が低いのです。そんなに食べなくても大丈夫、、、お菓子があればいいかも?というのです???一方、中高年はダメですね。野菜、豆腐、納豆、卵、牛乳、、、etc、生鮮食料品がないと生きていかれない、、、とにかく食欲がある、この差はいったい何でしょう?食育を根本から揺るがす現状ですよ!!

 

次に、したいこと。

電気と水が整い、一番始に起こす行動は、お風呂。日本人はやはり、シャワーではなく湯船につからないと駄目ですね、、、

 

さらに、してもらいたいこと。

話し相手。一人になる不安は、何とも表現できないものでした。直接会わなくても、メールでOKです。でも、返信がこないと、それはそれで不安になってしまいます、、、かく言う私もメールがつながらない苛立ちは、食料がない事よりひどかったです。携帯が使えない避難所や、携帯を持たない高齢者は大変ですね。とにかく「一人になりたくない」と話してました。そして、避難所生活を免れた人達は、冒頭に書いたお片づけボランティア。私の場合は小さな研究室一部屋ですが、それでも手荒れがひどく、赤切れ状態になり一時お休み。一軒家を片付けるのは、高齢者では相当難儀なことでしょう。

 

 

最後に、私が個人的に希望するのは、音楽。音は人を癒す最大のツール!いい音を奏でて欲しい!知り合いの音楽プロデュサーに思わずメールしました。「任せておいて下さい」と嬉しい返信。期待しています。今日は、研究フィールド先の女川町のスタッフが全員無事との連絡を受け、涙がとまりません。本当によかった!!

 

人は確実に、破壊から復興に向かっています。これも皆さんのおかげですね。ありがとうございます。

 

早いもので1週間がたちました。

 お蔭様で、避難所には昨日からやっと物資が届くようになりました。全国の皆様、そして運んでくれる自衛隊の皆様、本当にありがとうございます。また、世界中から続々と救援隊が到着しています。

 連絡が取れなかった人々と、また電話やメールでつながりました。家が無くなってしまった避難所の学生も、親戚や知り合いのおうちに行き始めています。

 

 一昨日、石巻を訪れてみて、改めて被害の大きさを実感しました。街に色がないのです。新聞やテレビで報道される光景とはちょっと違います。報道は、ほんの一部なのでしょう。未だなお、数え切れないほどの遺体が大橋の欄干にひっかかっており、何とも言えない死臭がします。亡くなられた皆様のご無念を思うと、心からご冥福をお祈り申し上げ、ご親族の皆様には慎んでお悔やみ申し上げます。と同時に、消防や警察、自衛隊、自治体、そして検死医の皆様のご苦労はいかばかりかと、昨日はブログ更新をためらいました。

 

 しかし一方で、私はこのブログを書かせていただいていて、ありのままをお伝えする事ができ、本当によかったと思います。まだお目にかかったことのない方から、こうやって励まされて生きていること、本当に幸せです。皆さまからここでいただいたコメントは、いずれ私が三陸河北新聞で連載しているコラム欄に載せていきたいと考えています。

 そして何より、コメントで皆さんと交わした言葉ひとつひとつが必ず「現象化」していることに気づきました。我を忘れて誰かに惜しみなく尽くす時、自分に欲しい物が巡ってくるのです。自分のためだけに何か損得を計算すると、その流れは止まります。人を思う気持ちは必ず、その人から直接的ではなくても、形を変えて少しずつ現実になっていくのでしょう。人が人を思う気持ちは物質化する、、、不思議な感覚です。

 今日は、生活がだいぶ楽になりました。物資が整い始め、落ち着きはじめた今、次に人々は精神的なダメージをより強く感じます。本当に全国の皆様の支えが必要なのは、これからです。どうぞよろしくお願い致します。私は今、何も十分には物がないけれど、気持ちは豊かです。今日も頑張ります!

被災から6日目になりました。うちの大学も避難所になっていますが、今日の仙台は、小雪が舞うあいにくの空模様。帰りに、ゼミ生の避難所になっている石巻に寄って帰ることにしました。

仙台から石巻は、途中、道路が通行止めになっていて、大きく迂回。途中、材木や瓦礫、流された車に目をやりながら、自衛隊の車と何度もすれ違いました。毛布と着替えとわずかな食料を持ち、ガソリンもつかな?と思いながら、それでも「まあ、なんとかなるか、、、」と出かけてしまう無謀な私です。東松島のあたりが、まだ水がひいていなくて、泥の中を行かなければなりません。ちょっとしたチャレンジャーです。

体育館に着くと、「せんせ~い」と思ったより明るい笑顔が出迎えてくれました。地震から津波まで5分だったとのことで、財布と携帯だけを持ち、着の身着のままで車に乗ったと話してくれました。さぞかし、怖かったことでしょう。体育館にはたくさんの人がごったがえしていて、びっくり。毛布はあるけど、お年寄り優先なんだよね、、、と、いくら若くても雪が降った晩は、寒かったことでしょう。

昨日は、バナナ、今日はパンだけ。温かいものが食べたいなと言われましたが、どうしてあげることもできません。炊き出しをしてあげたいけど、なにせ材料がなく、こんな時、何が栄養士免許だと憤りを感じます。明日はきっと、ほかほかのお米のご飯が食べられるよ、、、と励まして帰ってきました。カロリーでも、栄養価でもない、温かいぬくもりが命をつなぐのかもしれません。皆さんからのあたたかいお励ましのコメントは心にしみます。本当にありがとうございます。